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2泊3日のモデルコース

行程 宿泊
1日目 伊丹空港(ANA)→→→→→→→→仙台空港========<仙台東部・三陸道>========【昼食】石巻地区========【視察】①東日本大震災遺構 旧女川交番========【視察】②石巻市震災遺構 大川小学校========【宿泊】南三陸温泉 南三陸(志津川)

南三陸ホテル観洋

2日目 ホテル========【視察】【講話】③戸倉地区 ④高野会館 ⑤震災復興祈念公園(旧防災対策庁舎)========【視察】【昼食】⑥南三陸さんさん商店街========【視察】⑦奇跡の一本松========【研修】⑧陸前高田市「防災ワークショップ」========【宿泊】釜石 釜石

浜辺の料理宿宝来館

3日目 ホテル========【視察】 【講話】【研修】⑨いのちをつなぐ未来館「研修特別プログラム及び3日間のまとめ」 【昼食】釜石地区========【観光】めがね橋・道の駅みやもり========花巻空港(JAL)→→→→→→→→伊丹空港

※この行程表は作成日現在の予定であり、天候・交通事情又はその他の理由により変更になることもございますので予めご了承ください。

 

主要施設のワンポイント解説

①東日本大震災遺構旧女川交番について・・・

東日本大震災において、最大津波高14.8mという県内最大を記録した女川町。又、町内4,400棟ある住宅のうち、約7割にあたる3,100棟が流失。津波は、家屋だけでなく、漁船や養殖施設、カキ処理場等も飲み込み、女川町は壊滅的な被害を受けました。海岸近くにある鉄筋コンクリート造2階建ての「旧女川交番」も又、犠牲になった建物の一つで、引き波により基礎部分の杭が引き抜かれ、横倒しになったと考えられています。今は震災遺構として保存されています。

②石巻市震災遺構 大川小学校について・・・

津波被害に合いながらも、全校児童が避難し、職員・生徒全員が助かった学校もある。大川小学校では、東日本大震災の津波により、全校児童108名のうち74名、教師10名が命を落とした。地震発生時の学校側の対応と矛盾だらけの説明に不信感を募らせた保護者方々が、真相究明を求めて市と県に損害賠償を求めた訴訟を起こしている。結果として勝訴に至ったものの、子供を失った保護者の方々が知りたいのは、「何故あのような惨事になったのか、防ぐ方法はなかったのか・・・」という事なのです。

③戸倉地区(戸倉小学校)・・・

大川小学校と明暗を分けた学校がある。3階建校舎の屋上まで水没しながら、学校にいた生徒全員を迅速に高台へ避難させ、難を逃れた戸倉小学校だ。何故戸倉小学校の全児童と全教職員が助かる事が出来たのか、震災当時戸倉小学校の校長をされていた麻生川先生のお話を聞き、腑に落ちました。日頃から地震や津波に対する先生方の意識の高さが導いた結果なのだと。現状の避難場所や避難方法に少しでも疑問を感じれば意見を交換し、より良い方法を皆で探す。こうした普段からの取り組みや意識が、生徒たちの命を救ったのだと、感じずにはいられませんでした。

④高野会館・・・

高さ22mある建物の3階天井部分まで津波が達した高野会館。高野会館の各階には、緊急時用の備蓄物資を備えられており、スタッフは定期的に避難訓練を実施しするなど、防災に対しても日頃から高い意識をもって取り組んでいた。その結果、当時地元老人クラブの発表会に集まっていた高齢者たちを迅速に4階屋上へ誘導し、327名の命が救われたのである。

⑤南三陸町震災復興祈念公園・・・

高さ12mある庁舎の屋上を、2mも上回る津波に襲われた防災対策庁舎。ここは震災前、南三陸町の防災対策調庁舎が建てられていた。当時防災担当だった職員は、防災無線を使いギリギリまで住民に避難を呼びかけた。最終的に屋上に避難し、フェンスやアンテナに皆しがみつくも、殆どの職員が助かる事はなかった・・・。迫りくる津波を見ながら、最後まで住民に避難を呼びか続けるというのは、いったいどのような気持ちなのか、思いを馳せようとしても、そう簡単にできるものではありません・・・。職員の皆様のご冥福を心よりお祈り致します。

⑥南三陸さんさん商店街・・・

「サンサンと輝く太陽のように、笑顔とパワーに満ちた南三陸の商店街にしたい」というコンセプトのもと、震災の翌年2012年2月25日に仮設商店街としてオープン。そして震災から6年後の2017年3月3日に本設オープン。他府県に住む私たちが出来ることは、このように復興に力を注ぎ続ける街や商店街を訪れ、地元の方々のお話等を少しでも見聞きし、そこで感じた事をこのHPから発信していくことだと思っています。

⑦奇跡の一本松・・・

陸前高田市民にとっては憩いの場所だった高田松原。約7万本もの松原は津波に飲まれ、その殆どが流されてしまいました。その中で唯一残ったのが、樹齢約170年と言われる「奇跡の一本松」なのです。希望を見失いかけていた人々が、この松の木に何を思い、何を願って保存整備を進めてこられたのか・・・。奇跡の一本松は、今もこの地で人々に寄り添いながら、訪れる人を勇気づけているのです。

⑧陸前高田にて防災ワークショップ開催予定・・・

防災に対する学びを深め、その学びを生かすことのできるワークショップを目指します。

⑨いのちをつなぐ未来館・・・

あの日、迫りくる津波の中、鵜住居地区の中学生が小学生の手を引き、励まし合いながら非難したことが称賛され、「釜石の奇跡」と言われている。勿論それも事実ではある。けれども、無事に難を逃れ、生き延びた当時中学生や小学生だった子供たちは、自分たちが「助けられた」という事も又、事実なのだと語っている。あの日も又、消防団や地域住民が協力し、子供たちを山へと逃げさせてくれたのだと。過去に津波の経験が何度もあるこの地区だからこそ、普段から学校と地域住民による合同避難訓練が行われるなど、お互いがお互いを助けるという事が根付いていいるのです。「釜石の奇跡」の裏には、こうした「共助」というものが大きく影響しているのだと、改めて感じる事が出来た。いのちをつなぐ未来館では、こうした出来事を少しでも多くの人に伝えるとともに、災害から未来の命を守るための防災学習を推進しています。

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