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3泊4日のモデルコース

行程 宿泊
1日目 伊丹空港9:00(ANA)→→→→→→→→仙台空港10:25========【視察】①塩竈市津波防災センター 【昼食】竹田の笹かまぼこ

塩釜~~~~~~【観光】松島湾遊覧船~~~~~~松島========【視察】②東松島市東日本大震災復興祈念公園========【宿泊】南三陸・志津川

南三陸(志津川)

南三陸ホテル観洋

2日目 ホテル========【視察】③高野会館========【視察】【講話】④気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 【視察】⑤陸前高田・奇跡の一本松========【昼食】碁石海岸レストハウス========【観光】浄土ヶ浜散策========【宿泊】浄土ヶ浜 浄土ヶ浜

浄土ヶ浜パークホテル

3日目 ホテル========【視察】 【講話】⑥田老防潮堤⑦田老潮里ステーション⑧たろう観光ホテル========【昼食】田老地区施設========田野畑++++++++⑨三陸鉄道「震災学習列車」+++++++++久慈========【宿泊】八戸 八戸

ダイワロイネット八戸

4日目 ホテル========【視察】⑩八戸市みなと体験学習館========【昼食】十和田湖(休屋)~~~~~~【観光】十和田湖遊覧船~~~~~~子ノ口========奥入瀬渓流(車窓)========八甲田山========青森空港(ANA)→→→→→→→→伊丹空港

※この行程表は作成日現在の予定であり、天候・交通事情又はその他の理由により変更になることもございますので予めご了承ください。

 

主要施設のワンポイント解説

①塩釜市津波防災センター・・・

施設内では、2011年3月11日地震発生から7日間に焦点をあて、何が起こったのか、そしてどう状況が変わっていったのかという事が分かりやすく学べるようになっています。又、施設内には1,386人分の食料や水、毛布、救援資機材などが備蓄されており、緊急時の備蓄倉庫としての役割も持っています。東日本大震災で経験したことを、決して無駄にはしないという強い覚悟が伝わってくる施設だと思います。

②東松島市東日本復興祈念公園・・・

3mを超える津波に襲われた野蒜駅。駅の構内も壊滅的な状況でした。その後、2015年に高台に て新駅舎として再開。旧野蒜駅に、列車が入ってくるところを見ることはもう出来ませんが、震災遺構として再スタートした旧野蒜駅を訪れることは出来る。目的は違えど、人々が行き交う場所である事に変わりはないのだと感じさせられる施設です。

③高野会館・・・

高さ22mある建物の3階天井部分まで津波が達した高野会館。高野会館の各階には、緊急時用の備蓄物資を備えられており、スタッフは定期的に避難訓練を実施しするなど、防災に対しても日頃から高い意識をもって取り組んでいた。その結果、当時地元老人クラブの発表会に集まっていた高齢者たちを迅速に4階屋上へ誘導し、327名の命が救われたのである。防災に対する高い意識が必要なことはもちろん、そこに加え「助かる・助ける」という事に対して迅速に行動するという事がいかに大切かという事を学ぶ事が出来る場所です。

④気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館・・・

気仙沼市階上地区もまた、約12mほどの津波に襲われ、200名以上が亡くなった地域です。気仙沼市「東日本大震災遺構・伝承館」は、震災が起こったあの日までは、宮城県気仙沼向洋高校として、生徒たちが過ごしていた場所だったのです。校舎の4階部分まで津波が襲いかかるも、生徒たちはより高台にある「階上中学校」などに避難し無事だったほか、校舎に残った先生や近くで工事を行ってい作業員らは、南校舎に避難し無事でした。今は、来館した人々に大震災を自らのこととして受け止め、日常の中で自然災害とどのように向き合うかを考えて頂く場でありたいと願われています。

⑤奇跡の一本松・・・

陸前高田市民にとっては憩いの場所だった高田松原。約7万本もの松原は津波に飲まれ、その殆どが流されてしまいました。その中で唯一残ったのが、樹齢約170年と言われる「奇跡の一本松」なのです。希望を見失いかけていた人々が、この松の木に何を思い、何を願って保存整備を進めてこられたのか・・・。奇跡の一本松は、今もこの地で人々に寄り添いながら、訪れる人を勇気づけているのです。

⑥田老防潮堤⑦田老潮里ステーション⑧たろう観光ホテル・など田老地区・・・

自然災害を相手にした時、「これで絶対安全だ」という保障や約束といったものは無いのだと、この場所を見て痛感しました。明治から昭和にかけ、幾度と津波の犠牲になってきたこの町を守るため、昭和54年に完成した巨大な防潮堤。その大きさは、長さ約2,4Km、高さ10mに及び、町全体を囲むように造られていました。2011311日に発生した東日本大震災による津波は、この田老防潮堤を超え、太郎の町を飲み込み、人々を飲み込み、甚大な被害を及ぼしました。

⑨三陸鉄道「震災学習列車」・・・

岩手県の太平洋沿岸を縦走する三陸鉄道も、大きな揺れと津波の被害に見舞われました。北リアス線の島越駅(しまのこし)は駅舎ごと波に持っていかれ、甚大な被害を受けました。当時は廃業も考えた三陸鉄道の望月社長(当時)は、線路に降り積もった雪の上に残された沿線住民の足跡を見て、「被災後1週間で運航再開」という驚異的なスピードの復旧計画を立て、それを実現しました。そうして三陸鉄道は、被災地の復興のシンボルとして、20144月に全線運航再開を果たしたのです。沿線に住む住民の方々にとって、三陸鉄道の全線運航再開はどれほど頼もしく、どれほどこころの拠りどころになったことでしょうか。そして応援してくれる沿線住民の方々の声は、三陸鉄道に勤務する皆さんにとってもまた、生きる力になったではないかと思います。

⑩八戸市みなと体験学習館・・・

太平洋に面し、市の南側は岩手県に接している八戸市。港には大規模な工場も立ち並び、北東北有数の工業都市です。津波により貨物のコンテナや漁船が八戸港の岸壁に打ち上げられた他、魚市場は壊滅的な被害を受けました。又、ガソリンを貯蔵す石油元売り会社の油槽所も大きな被害を受けて作業を中止し、八戸だけでなく、青森県内でもガソリンが不足する事態となったのです。それから8年後、八戸に「八戸みなと体験学習館」が完成。同館は館鼻公園内にあった旧八戸測候所を改修。災害時の防災機能も備えています。

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